今に感謝する
感謝しなさいとよく言われますが、「感謝」とはただ「ありがとう」と表面的に言うことではありません。
「ありがとう」とは「有り難し」と書き、なかなかありそうにないことが起きて嬉しいと感じる気持ちのことです。
誰かのおかげであったり、神秘的な力であったり、自分の力だけでは成し遂げられない物事であると気付くことが「感謝」なのです。
生きることが苦しかった頃、感謝することなんて到底できませんでした。
自分が嫌いで、心も身体もボロボロで働くこともできなくて、どうにかしなきゃと思ってもどうすればいいのかわからなく、ただ泣いていた私は、神様を恨んだりもしてました。
なんで私だけこんな目に合わなきゃいけないんだろう、と。
苦しい時は嫌な事柄にしか目を向けられなくて、余計苦しくなります。
苦しい気持ちを受け入れたら、自分が持っているものや培ってきたものに目を向けましょう。
どんな境遇の人間でも、何かしらのものを持ち、少なからず周囲に支えられ、社会にお世話になり生きているものです。
自分が今ここに存在することは「有り難し」ことと、気付けるかどうか。
同じような容姿や環境や収入があっても、ある人は幸せだといい、ある人は不幸だと言います。
不足しているものに目を向けるか、今の自分にあるものに気付けるかどうかで、人生は変わってくるのです。
般若心経に、「色即是空」という言葉があります。
「色(目に見えていること)はすべて空(ゼロ)である」、つまりこの世に起こる事象に、確たるものなど一つもないという意味です。
何事も、自分の捉え方次第で変化してしまう。
幸せも不幸も存在しないのです。
人生は思い通りにはなりませんが、その人生を幸せと捉えるか不幸と捉えるかは自分次第なのです。
ただ、今あるものに目を向けるとしても、人と比較して自分は幸せだと思うことは本当の幸せとは違います。
「生きたくても病気で生きられない人もいるんだから、生きられるだけ幸せだ」
「アフリカの難民に比べたら自分は恵まれてる」
「障害がある人、家がない人、職がない人に比べたら、マシだ」
こういう考えは相手を見下し、自分が優位だと思いこみたいだけです。
幸せとは相対的なものではないのです。
今の自分が持っているもの、恵まれているもの、周りにいてくれる人、人生におけるすべての「縁」に気付けるか。
自分がこうして生きていることが「有り難し」ことと、気付けるか。
どんなに苦しいことがあっても、それがあったからこそ今の自分がいます。
今日まで生きてこれたこと、今日を生きれることに私はようやく感謝できるようになりました。
幸せは努力して掴むものじゃなく、今に感謝すること(*^^*)